土浦亀城邸
- Ken
- 7 日前
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建築家の土浦亀城・信子の自邸
驚かされるのは、このモダンな住宅が
昭和初期の昭和10年(1935年)に
建てられたということ。
昭和10年と言うと…
NHK朝ドラ「あんぱん」のヒロイン
朝田のぶが16歳の時。
ちょうど今放映されているくらいの頃だ。
書生さんや女中さんがいた時代。
この土浦邸にも40年近くに渡って
住み込みで夫婦の暮らしを支えた
お手伝いさんがいた。晩年になって
相次いで入院した土浦夫妻は
家族同然のお手伝いさんが、お見舞いに
来るのを心待ちにしていたと言う。
子供のいなかった夫妻が亡くなった後
正式な遺言状の下で、お手伝いさんが
この住宅を引き継ぐことになり
夫妻が暮らしたまま手を入れずに
20年以上大切に住み続けられてきた。
その後、歴史的価値を認められた
この住宅を未来に残すために
「住宅遺産トラスト」の協力を得て
品川区上大崎から、ポーラ青山ビルの隣地に
2024年に移築・復原された。
寒い北側にあるのが普通だった
女中室を南向きに配し、大きな窓を付けたり
訪問客のために、玄関に暖房付きのベンチを
設えていたり、随所に見られる設計からも、
土浦夫妻の誠実で温かな人柄が伝わってくる。
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土浦亀城は東京帝国大学在学中に
帝国ホテル建設の現場で
フランク・ロイド・ライトを手伝い
それがきっかけで、卒業後に夫婦で渡米
ライトの元、タリアセンで共同生活をしながら
仕事をし、アメリカの文化や暮らしに触れる。
アメリカでの豊かな暮らしを実感して
帰国した土浦夫妻は、日本でも
快適で暮らしやすい住宅を実現させようと
自邸設計の際には様々なアイディアを取り入れた。
国際様式の白い箱型の外観
スキップフロアによる立体的な空間構成
当時ではまだ珍しかったボイラー給湯、水洗トイレ
システムキッチンを備え、実験的に
天井パネルヒーティングも採用した。
妻の信子は、「日本初の女性建築家」として
当時から注目されていた。 タリアセン時代の写真に写る服装や髪型からも
好奇心旺盛でその進歩的なスタイルが見て取れる。 亀城が独立したのを機に 建築の世界から身を引いてからは
写真、油彩画へと活躍の場を移しながら
晩年まで精力的に活動した。
[参照]
「日本の住宅遺産」伏見唯
「土浦亀城邸」ポーラ文化研究所
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「土浦亀城邸」
1935年 竣工
1995年 東京都指定有形文化財
1999年 DOCOMOMO Japan 最初の20選に選定
2024年 POLA青山ビルディング敷地内に
復原・移築工事を経て保存・公開