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スミレアオイハウス

更新日:11月5日




このわずか9坪の家には 展示物から住まい、そして宿へと変遷 してきたユニークな歴史がある。

原型となっているのは

1952年に建築家の増沢洵が建てた

建坪が9坪、総床面積15坪の自邸 「最小限住宅」である。


戦後の混乱期、日本は極度の資材不足で

政府は住宅の床面積に制限をかけた。

1947年に12坪、翌1948年には15坪に緩和

されたが、こうした事情により日本で

いわゆる狭小住宅が

数多く建てられていくことになった。

増沢洵の「最小限住宅」は、そうした狭小住宅 の中で名作と呼ばれているものの一つである。


それから半世紀近くを経た1999年1月

リビングデザインセンターOZONEが開催した

「柱展」という企画展において、

増沢邸の軸組が実寸大で再現された。


この軸組が大いに気に入り

引き取って自邸を建てることにしたのが

「柱展」の企画担当者でもあった萩原修氏で

設計を依頼したのが、会場デザインを担当した

デザイナーの小泉誠氏だった。


こうして「スミレアオイハウス」は

「柱展」の9ヶ月後の10月に完成するのだが

土地取得に始まるその奮闘ぶりは

萩原氏の著書「9坪の家」 (広済堂出版/2000年)

に詳しく紹介されている。


その後、家族4人が20年余りを過ごした9坪の家は、

使い込まれた柱や床はそのままに

傷んだ箇所には手を入れられ

2020年の夏に9坪の宿へと生まれ変わった。 今回、実際に宿泊してみて感じたのは 9坪という広さが、思っていた以上に 私たち夫婦が過ごすのに

ぴったりのサイズ感だったということだ。 吹き抜けがあることで

抜けが良く、開放感があり、 限られた空間を最大限生かすために

工夫された造作収納のおかげで 衣類や生活道具ももすっきりと収まる。

何より居心地がとても良かった。


現在、民泊の運営・管理は萩原氏の次女の葵さんが

担当している。ちなみに「スミレアオイハウス」

という名は、完成当時小学生だった姉妹から

とったものだそうだ。


「スミレアオイハウス」

設計:増沢洵+小泉誠 / 1999年

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