このわずか9坪の家には 展示物から住まい、そして宿へと変遷 してきたユニークな歴史がある。
原型となっているのは
1952年に建築家の増沢洵が建てた
建坪が9坪、総床面積15坪の自邸 「最小限住宅」である。
戦後の混乱期、日本は極度の資材不足で
政府は住宅の床面積に制限をかけた。
1947年に12坪、翌1948年には15坪に緩和
されたが、こうした事情により日本で
いわゆる狭小住宅が
数多く建てられていくことになった。
増沢洵の「最小限住宅」は、そうした狭小住宅 の中で名作と呼ばれているものの一つである。
それから半世紀近くを経た1999年1月
リビングデザインセンターOZONEが開催した
「柱展」という企画展において、
増沢邸の軸組が実寸大で再現された。
この軸組が大いに気に入り
引き取って自邸を建てることにしたのが
「柱展」の企画担当者でもあった萩原修氏で
設計を依頼したのが、会場デザインを担当した
デザイナーの小泉誠氏だった。
こうして「スミレアオイハウス」は
「柱展」の9ヶ月後の10月に完成するのだが
土地取得に始まるその奮闘ぶりは
萩原氏の著書「9坪の家」 (広済堂出版/2000年)
に詳しく紹介されている。
その後、家族4人が20年余りを過ごした9坪の家は、
使い込まれた柱や床はそのままに
傷んだ箇所には手を入れられ
2020年の夏に9坪の宿へと生まれ変わった。 今回、実際に宿泊してみて感じたのは 9坪という広さが、思っていた以上に 私たち夫婦が過ごすのに
ぴったりのサイズ感だったということだ。 吹き抜けがあることで
抜けが良く、開放感があり、 限られた空間を最大限生かすために
工夫された造作収納のおかげで 衣類や生活道具ももすっきりと収まる。
何より居心地がとても良かった。
現在、民泊の運営・管理は萩原氏の次女の葵さんが
担当している。ちなみに「スミレアオイハウス」
という名は、完成当時小学生だった姉妹から
とったものだそうだ。
「スミレアオイハウス」
設計:増沢洵+小泉誠 / 1999年